東京高等裁判所 昭和39年(ツ)141号 判決
上告人は昭和三十七年四月六日午後一時の第一審の第五回口頭弁論期日に上告人の訴訟代理人逸見安雄弁護士と被上告人の訴訟代理人柴崎四郎弁護士との間に成立した裁判上の和解は無効であるとして、第一審において口頭弁論期日指定の申立をし、これに対し第一審は右期日指定の申立を失当として判決をもつて訴訟終了の宣言をし、これに対する上告人の控訴申立に対し原審は控訴棄却の判決を言渡したものであるが、上告人が右和解が無効であるとする理由の第一は、上告人は右和解成立前に本件土地を訴外長島茂三郎に売渡し、同訴外人は更にこれを中野寅吉に売渡した結果、昭和三十六年十月二十五日上告人より右中野に対する所有権移転請求権保全の仮登記がなされていたところ、上告人の訴訟代理人逸見弁護士は右の事実を知らなかつたために、被上告人との間に上告人より本件土地の所有権を被上告人に移転する趣旨の条項を含む本件和解をなしたものであつて、本件和解は法律行為の要素に錯誤があるから無効であるというのである。
しかし、被上告人より上告人に対する本訴は、上告人より農地である本件土地を埼玉県知事の許可のあることを停止条件として買受けたとして、上告人に対し右許可を条件に本件土地の所有権移転登記を求めるものであるのに、上告人は係争の目的である本件土地を第三者に売り渡したというのであり、その際に上告人が右第三者に印鑑証明書及び委任状を交付したこと及びその結果中野寅吉に対する所有権移転請求権保全の仮登記がなされるに至つたことは原審の適法に認定するところであつて、第三者に土地を売渡し印鑑証明書、委任状等登記に必要な書類を交付した以上仮登記その他の登記がなされることは容易に推察される事柄であるから、もしも上告人が逸見弁護士に対して上告人を代理して被上告人と何時如何なる内容の裁判上の和解をなしても差支ない旨の抱括的な代理権を授与していたとするならば、同弁護士が前記の如く本件土地の所有権を被上告人に移転する内容の和解をなすことを防止するためには、本件土地を第三者に譲渡した事実を直ちに同弁護士に報告すべきであつたといわなければならない。またもしも、同弁護士において右の如き抱括的な代理権を与えられていなかつたとすれば(この場合においても和解の権限をも含む訴訟代理委任状の提出がある以上、本人たる上告人と被上告人との間における和解の効力に影響がないこというまでもない)、同弁護士より上告人に対して予め前記の如き内容の和解をしてもよいかどうかを尋ねて許諾を求めるべきであり、そしてその場合上告人としては右のような和解の成立を避けようとするならば、そのような和解についての代理権授与を拒否すべきであつたといわなければならない。
しかるに上告人は本件和解は逸見弁護士が上告人が本件土地を第三者に譲渡した事実を知らずになしたと主張するのであるから、その主張自体によつて、上告人と逸見弁護士のいずれかが、前記のような処置をとることを怠つたものと解することができ(それ以外の場合として、万が一には同弁護士が前記の如き内容の和解についての代理権授与を求め、上告人がこれを拒否したにも拘らず、同弁護士が本件和解に応じたという場合が考えられないこともないが、その場合も後記の錯誤に対して重大な過失となるこというまでもない)、従つて、上告人が主張するように、逸見弁護士が本件土地につき第三者のため所有権移転請求権保全の仮登記がなされている事実を知らなかつたために、被上告人に対し本件土地の所有権を移転する旨の和解をしたことが、要素の錯誤にあるとするならば、右錯誤は、上告人とその代理人たる逸見弁護士とのいずれかが前記のような処置をとることを怠つた重大な過失に基因するものということができ、そしてそのことは上告人主張の事実関係と原審の確定した事実から推論し得るところである。
ところで、民法第百一条第一項の規定はこれを同法第九十五条の場合に適用するにあたつては、直接適用されるのは同条本文についてのみであり、従つて代理人に錯誤があつた場合にも本人に重大な過失がある場合には本人自ら意思表示の無効を主張し得ず、ただし代理人に重大な過失がある場合にも右民法第百一条第一項の規定の類推適用によつて、本人は無効を主張し得ないものと解するのが相当であるから、上告人又はその代理人たる逸見弁護士のいずれかに重大な過失があると認められる本件においては、上告人は本件和解の無効を主張し得ないものといわなければならない。
してみれば、所論は原判決が、特別の事情の認められない本件にあつては、訴訟の経過に徴し逸見弁護士がその知識経験によつて相当と判断するときは、本件土地につき相当の金銭の支払を得てこれを被上告人の支配下におくことを内容とする和解をなすことをも予め許容していたものと認めるのが相当であり、従つて上告人において代理権授与後に特に反対の指示を与えない限り、同弁護士が本件和解をなしたのは、民法第百一条第二項にいう「特定の法律行為を為すことを委託せられたる場合において代理人が本人の指図に従い其の行為を為したるとき」に該当するとし、更に、前記仮登記のなされるに至つたのは、上告人が自ら本件土地につき第三者と売買契約を結び自己の印鑑証明書及び委任状などを仲介人に交付した結果にほかならないから、右仮登記のなされることは上告人において知り得た筈であり、仮りに知らなかつたとしても、上告人の過失に因るものというべきであるから、民法第百一条第二項により代理人たる逸見弁護士の右事実の不知を主張することは許されないとした点につき、原判決は民法第百一条第二項その他の法令の解釈適用を誤り、且つ審理不尽の違法を犯したものであると主張するけれども、結局において上告人は本件和解の無効を主張し得ないこと前記のとおりであるから、原判決に所論のような法令違背があるとしても、右法令違背は何ら判決に影響を及ぼすものではなく、従つて所論はこの点において採用できない。
(牛山 武藤 今村)